大判例

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東京高等裁判所 昭和56年(お)1号 決定

請求人 平沢貞通

右弁護人 遠藤誠

同 内田剛弘

同 森川金寿

同 蓬田武

同 和島岩吉

同 川中修一

同 山本忠義

同 鈴木貞司

同 青木正芳

同 竹澤哲夫

右平沢貞通に対する強盗殺人、同未遂、殺人強盗予備、私文書偽造行使、詐欺、同未遂被告事件について、昭和二六年九月二九日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、同人から再審の請求があったので、当裁判所は、請求人及び検事の意見を聴いたうえ、次のとおり決定する。

主文

本件再審請求を棄却する。

理由

本件再審請求の理由は、元弁護人亡中村髙一、弁護人遠藤誠、同内田剛弘連名の昭和五六年一月二〇日付再審請求書、元弁護人亡中村髙一、弁護人森川金寿、同遠藤誠、同内田剛弘連名の同年三月三日付再審請求書の一部を補正する書面、元弁護人亡中村髙一、弁護人遠藤誠連名の昭和五六年五月一日付証拠説明書と題する書面、弁護人遠藤誠名義の昭和五六年五月二〇日付、同年七月一一日付、同年九月二九日付各証拠説明書と題する書面、同弁護人名義の昭和五九年三月二三日付証拠調請求書と題する書面、同弁護人名義の昭和六〇年三月一四日付証拠書類の提出書と題する書面、同弁護人名義の同月二五日付証拠提出書と題する書面、同弁護人名義の同年五月二〇日付証拠書類提出書、同日付証拠書類提出書(つづき)と題する各書面、同弁護人名義の昭和六一年一月一三日付証拠提出書と題する書面、同弁護人名義の同年七月三一日付再審請求理由の補充書と題する書面及び請求人本人名義の意見書と題する書面にそれぞれ記載されたとおりであり、論旨は多岐にわたるが、その要旨は以下に記載するとおりであって、旧刑事訴訟法四八五条六号(論旨中刑事訴訟法四三五条六号とあるのは誤記と認める。)所定の請求人に対し無罪を言い渡すべき明確な証拠を新たに発見したことを理由とするものであるところ、当裁判所は、一件記録を調査したうえ、これに対し、次のとおり判断する。

第一弁護人らの本件再審請求の理由について

一  (毒物配分関係)

所論は、確定判決は、いわゆる帝銀事件(確定判決判示第一の三の事実、以下、帝銀事件という。)につき、請求人は一六人の行員に一人五CC位づつ青酸カリを分配して飲ませたと認定しているが、弁第一号証の実験報告書によれば、証一七五号のピペットの容量(確定事件の第一、二審における証人吉田武次郎の証言により玉の所まで吸い上げる。)は約一・二CCであり、請求人自供の一回では勿論、吉田証言の二回でも五CC位には達せず、このピペットを用いて五CC位に達するには四回位づつ配分することを要するが、これでは請求人の自供とも犯行の実際とも全く異なる、また、請求人の第四九回検事聴取書の万年筆用スポイトの容量は約一・三CCで二回でも約二・六CCであって、結局請求人自供のびんとスポイトを用いては、その自供のように迅速かつ均等に五CC位づつ毒物を配分することは不可能であることが明らかとなった、と主張する。

そこで検討するに、確定判決は、証一七五号のピペットを帝銀事件の証拠として掲げていないから、請求人が証一七五号のピペットで毒物を配分したとは認定していないと解すべきであり、また、請求人の第四九回検事聴取書の「このスポイトは普通の万年筆用のスポイトで、ゴムは薄茶色で硝子に玉のないものであった」との供述部分は、確定判決判示第一の一の事実(安田銀行荏原支店事件)で使用したスポイトに関するものであって、帝銀事件に関するものではなく、確定判決も帝銀事件の証拠として請求人の第四九回検事聴取書を掲げていないのであるから、確定判決は請求人が帝銀事件において右のような万年筆用スポイトを用いたとは認定していないのである。

また、毒物配分の方法についても、確定判決の掲げる証拠によれば、スポイトで一ないし二回配分した後、少ない茶碗には壜からたらして追加したものであって、所論のように全てをスポイトで配分したのではないと認められるのである。そうすると、弁第一号証の実験報告書のうち、毒物配分の実験は、帝銀事件の犯行を正確に再現して実験したものではないから、その結果は確定判決の判断に影響を及ぼすものとは認められず、旧刑事訴訟法四八五条六号所定の有罪の言渡を受けた者に対して無罪を言い渡すべき明確な証拠にあたらない。

二  (アリバイ関係)

所論は、①確定判決は、帝銀事件につき犯人が帝国銀行椎名町支店(以下、帝銀支店という。)に到着した時刻が午後三時二〇分ころであることを前提に、請求人のアリバイは成立しないとしているが、右事件の被害者竹内正子は、判決確定後、犯人が帝銀支店に現れたのは午後三時三分ころあるいは午後三時直後である旨供述するに至った(弁第二、三号証、第九号証の一、二)ところ、確定判決によれば、請求人が池袋駅ホームに到着した時刻は午後二時五〇分、池袋駅から帝銀支店までの所要時間は三二分五秒とされているから、請求人が午後三時三分あるいは午後三時直後に帝銀支店に現れることは不可能であり、右竹内正子の新供述によれば帝銀事件につき請求人にはアリバイが成立する、②前記のように、確定判決は、請求人が帝銀支店に現れた時刻を午後三時二〇分ころとしているが、犯人が犯罪を遂行して逃走した時刻は、目撃者の島田長三郎の証言によれば、午後三時三〇分ころ(確定事件第一審)ないしは午後三時四〇分に近いころ(同第二審)であるところ、弁第一号証の実験報告書によれば、請求人の自供に従って犯行所要時間を実験してみると、最も短くしても三九分五二秒三を要するから、午後三時二〇分に犯人が帝銀支店に現れたとすれば、目撃者のいう犯人の逃走時刻である午後三時四〇分少し前までに到底犯行を終らせることはできないのであって、前記確定判決の認定した犯人が帝銀支店に現れた時刻は誤りであることが明らかであり、犯人の逃走時刻から逆算すると犯人の帝銀支店到着時刻は午後三時七秒七となるのであって、請求人がこの時刻に帝銀支店に到着しえないことは前記のとおり明らかであるから、請求人のアリバイが成立する、③確定判決は、請求人が池袋駅ホームに着いた時刻を午後三時一〇分前とし、午後三時二〇分ころ帝銀支店に現れたとしているが、弁第一三号証(林甲子男作成の「昭和二三年頃の道路状況について」と題する書面)によれば、昭和二三年ころのその道路は未舗装でぬかるみがひどく、歩くと二〇センチぐらい足が落ちこみ長靴でないと歩けない状態であったというのであるから、確定判決の検証の際の時間では歩けないことは明白である。弁第七号証(実験報告書)によれば、平沢武彦らの実験した結果によると、当時の被告人と同年令の男が池袋駅ホームから帝銀支店まで確定判決認定のとおり歩くと四七分四〇秒を要するから、請求人が午後三時一〇分前に池袋駅ホームにいたとすれば、犯人が帝銀支店に現れたとされている午後三時二〇分ころまでに帝銀支店に到着することはできない、と主張する。

まず、所論①について検討するに、竹内正子は、確定事件の第一、二審において、犯人が帝銀支店に現れたのは午後三時一五分ころのことである旨供述しているから、「犯人が帝銀支店に現れたのは午後三時三分ころあるいは午後三時直後である」旨の新供述が旧刑事訴訟法四八五条六号にいう請求人に無罪を言い渡すべき明確な証拠であるといい得るためには、新供述の方が確定事件の第一、二審の供述よりも信用性があり、これと他の証拠を総合して確定判決の事実認定を覆す蓋然性がある場合でなければならないのである。しかるに、竹内正子の新供述は、事件後長時間を経過し記憶も当然うすれているような時期に、突然このような断定的な供述をするに至ったこと自体から、その信用性に疑問があるだけでなく、竹内正子は、確定事件の第一、二審において、犯人が帝銀支店に現れた時刻が午後三時一五分ころである根拠として、薬を飲むため吉田支店長代理のところへ集まった時柱時計を見たら三時半ごろであったのを覚えているが、犯人はその一五分位前に来たからである旨供述していたところ、宣誓のうえなされたこの供述が何故誤りでありかつどうしてそのような誤った供述をしたのかについてなんら納得のいく説明がないこと、竹内正子の新供述自体の中でも、犯人の現れた時期につき、一回目の伝票の集計の途中(弁第二号証、第九号証の一)、一回目の伝票の整理が終り、二回目の真ん中位まできた時(弁第三号証)と食い違いがあり、また犯人が現れた時刻についても午後三時から午後三時一〇分と書き記しているものもある(弁第一六号証中ウィリアム・トリプレットにあてた竹内正子の手紙)ことなどを考えると、竹内正子がこの時刻の点について明確な記憶を有しているとは認められないこと、竹内正子と同じく帝銀事件の生き残りの被害者である吉田武次郎、田中徳和、阿久沢芳子は、薬を飲む時又はその少し前に見た柱時計の時刻を根拠に犯人が現れた時刻を午後三時二〇分ころと供述しており、これらの供述の信用性を疑うべき事由は見当らないことを考え合わせると、竹内正子の新供述は、到底信用できず、旧刑事訴訟法四八五条六号所定の請求人に無罪を言い渡すべき明確な証拠にあたらない。

所論②については、弁第一号証(実験報告書)のうち犯行所要時間の測定に関する実験の部分は、本件犯行の状況を正確に再現して実験したものとは到底認められず、請求人に無罪を言い渡すべき明確な証拠にあたらない。

次に、所論③について検討するに、確定事件の公判において、請求人は帝銀事件につき事実を否認し、アリバイを主張したため、確定事件の第一、二審においては各検証を含む慎重な審理が行なわれた結果、確定判決及びこれを支持した上告審判決は、仮に、帝銀事件当日午後に請求人が船舶運営会をたずねた事実があるとしても、当日午後三時二〇分ころ帝銀支店に現れることは可能であるとして請求人のアリバイを否定しているところ、弁第七号証(実験報告書)は、当時道がぬかるんでいたので三、四分以上余計に時間を要するとか、短靴から長靴にはきかえるのに二、三分を要するとか、帝銀支店に入る前に息づかいを調整するのに二、三分を要するといった独自の仮定の下に池袋駅から帝銀支店までの所要時間の実験を行ったものであるところ、その仮定は直ちに肯認し難いばかりでなく、歩行速度も犯人のそれを正確に再現したものとはいえないから、右実験の結果は確定事件の第一、二審における検証の結果を左右するに足りない。また、弁第一三号証については、仮にそのような事実があったとしても、同号証自体によって明らかなようにその場所は「豊島区長崎一丁目四番及五番にある四米道路、特に現在の国民相互銀行椎名町支店と大門薬局の間」というのであって、それは請求人の供述による池袋駅から帝銀支店までの経路のごく一部にすぎず、しかも確定判決の挙示する証拠によれば当時請求人は長靴をはいていたことが認められるのであるから、確定事件の第一、二審における検証の結果に重大な影響を及ぼすものとは認められない。結局、所論のいう証拠は、請求人に対し無罪を言い渡すべき明確な証拠にあたらない。

三  (請求人が帝銀事件の真犯人ではないとする竹内正子供述関係)

所論は、帝銀事件の生き残り被害者である竹内正子は、弁第九号証の一、二において、請求人が右事件の真犯人とは思えない旨供述するに至ったのであって、この証拠は、請求人に対し無罪を言い渡すべき明確な証拠にあたると主張する。

そこで、検討するに、弁第九号証の一、二の竹内正子の手紙(昭和五九年三月六日付)のうち所論のいう部分は、「平沢貞通逮捕以来検察当局の調べに対しても、また公判に於ても証言致しましたやうに平沢貞通は犯人によく似ておりますが、私には犯人とは思えません」というのであるが、確定事件記録によれば、竹内正子は確定事件の第一、二審の証人としても同趣旨の供述をしていたことが認められるから、右証拠は新規性を有しないというべきである。

四  (松井名刺関係)

所論は、確定判決によって採用された請求人の供述ないし供述調書では、松井名刺は「昭和二二年四月下旬松井蔚が自分の名刺に鉛筆で『仙台市何とか袋』という住所を書き、それを請求人が同年九月ころ消しゴムで消した」とされているところ、弁第四号証(遠藤美佐雄の手記、昭和三九年七月付)によれば、読売新聞社会部記者として事件当時帝銀事件の取材にあたっていた右遠藤は、松井名刺の裏の鉛筆の文字は、「小山町三の一一三鈴木八郎方」であって、これは取り調べにあたった警察官が聴き取りをメモしあとで消したものである旨聞いたと述べているのであって、これによれば請求人の自白調書には信ぴょう性が全くなく、請求人に対し無罪を言い渡すべき明確な証拠が新たに発見されたと主張する。しかしながら、右主張は当庁昭和三七年(お)第七、八、一〇号再審請求事件において主張され、同事件の決定において理由なしとして棄却されたところと同一でありかつ同一趣旨の証拠によるものである(この点については、当庁昭和四九年(お)第三号再審請求事件においても主張され、同事件決定において、「当庁昭和三七年(お)第七、八、一〇号再審請求事件で主張したところ、及びその際証拠として提出したものと同一であり、同事件の決定で棄却されたところであるから、旧刑事訴訟法五〇五条二項により再度再審の原由として主張することの許されないものである」として排斥されている。)から、旧刑事訴訟法五〇五条二項により再度再審の原由として主張することは許されない。

五  (旧陸軍満七三一部隊関係)

所論は、帝銀事件の真犯人は請求人ではなく、旧陸軍満七三一部隊の生き残り隊員、とくに諏訪中佐であって、このことは、①警視庁捜査二課員として本件捜査の担当者であった成智英雄が弁第六号証(「帝銀事件死刑囚平沢貞通の”無実”の確証」昭和四七年一〇月一〇日発行別冊新評臨時増刊収録)において、「私は平沢の無実を確信している。犯人と認められる者は旧陸軍満七三一部隊の諏訪軍医中佐ただ一人となった」と断定していること、②弁第四号証、今回アメリカ合衆国公文書館から発見された弁第一〇号証の一ないし四、第一一号証の一ないし四(なお、その発見の経過等につき弁第一二号証の一ないし三)及び弁第一六号証(ウイリアム・トリプレット著「竹の花の咲くとき」)によれば、警視庁は、帝銀事件の捜査の当初、犯人は旧陸軍満七三一部隊の隊員と断定し、右事件の捜査の主任検事であり、確定事件の第一審の立会検事でもあった高木一も、少くとも昭和二三年六月ころまでは、帝銀事件の犯人を満七三一部隊の隊員であると断定し、石井四郎中将の取調べまでしていたのに、G・H・Qから満七三一部隊の線で捜査を続けることの中止命令が出たため請求人にすべての罪をなすりつけたことが窺われること、なお、弁第一七号証(昭和六一年一月二一日付毎日新聞朝刊)、弁第一八号証(弁護人遠藤誠からアメリカ合衆国公文書館あての照会書)、弁第一九号証の一、二(アメリカ合衆国公文書館軍関係文書部陸軍課パーネルから遠藤誠あての回答書)、弁第一九号証の三(昭和二三年九月二七日から同月二九日までの時事通信、読売新聞、東京新聞)によれば、アメリカ合衆国公文書館の帝銀事件記録は、昭和二三年六月二六日から同年一一月八日までの部分が欠落しているが、これはG・H・Qから同公文書館に移されるとき抜き取られたもので、その部分にはG・H・Qないし日本の国家権力にとって都合の悪いことが記載されていたと考えられるところ、その都合の悪いこととは満七三一部隊関係者に対する捜査の中止命令以外には考えられない、③同じくアメリカ合衆国公文書館から発見された公文書である弁第一四号証の一、二(G・H・Q公安部作成の公文書)によれば、G・H・Qの衛生業務対策係としてパーカー中尉が実在しており、帝銀事件と同一の犯人とされている安田銀行荏原支店事件の犯人がパーカー中尉の名前を知っていたことが明らかとなっているところ、G・H・Qと全く付き合いのなかった請求人はパーカー中尉の名前を知るはずがなかったのに対し、当時G・H・Qに秘密裡に情報を提供していた満七三一部隊の隊員であった諏訪中佐はパーカー中尉の名前を知り得る立場にあったこと、④弁第一五号証によれば、帝銀事件発生の五か月後の昭和二三年六月二六日現在においても警視庁は犯人を旧軍関係、特に満七三一部隊の隊員であるとみており、その理由として六つの点を挙げているが、請求人はその条件を全く備えておらず、満七三一部隊の隊員(特に諏訪中佐)はその条件をすべて備えていること、⑤弁第一六号証によれば、帝銀事件捜査についての鍵を握るG・H・Q側の唯一の生き残り証人であるユージン・ハットリ中尉は、昭和五八年に、帝銀事件の真犯人は誰かとの質問に対し、かたくなにその答えを拒否しているところ、もし請求人が真犯人であるならば、ちゅうちょすることなくその旨答えてよいはずであるから、同中尉がかたくなにその答えを拒んだということは、同中尉は本件の真犯人が請求人以外の人であることを知っているが、それを言うと立場のそこなわれる人が余りに大勢日本にいることを示していると考えられることから明らかであると主張する。

まず、所論①について検討するに、弁第六号証には、「元警視庁捜査二課員であった成智英雄は、満七三一部隊の研究員であった山内中佐からつぎつぎに本件の犯罪適格者を指名して貰い、内偵又は直接取調べた者は五十数名にもあがったが、アリバイその他で、犯人と認められる者は、結局、医博諏訪軍医中佐(当時51)ただ一人となった。」との記載があるが、同号証は更に「諏訪中佐は、静岡陸軍病院裏に居住していたが、昭和二〇年の戦災で焼出されて行方不明となり、親戚知人とも交流の形跡はなく、その所在はもとより、その後の情報さえ入手することができなかった」としているのであって、これによれば、成智英雄は右諏訪中佐について直接捜査したことすらなく、同中佐と帝銀事件との具体的なつながりは一切明らかになっていないのであるから、弁第六号証は、諏訪中佐が帝銀事件の真犯人であるとか、請求人がその真犯人でないことを示す具体的な証拠であるとはいえず、請求人に対し無罪を言い渡すべき明確な証拠にあたらない。

次に、所論②について検討するに、一件記録によると、帝銀事件は死亡者一二名を出すという空前の強盗殺人事件であったことから、警視庁を中心とする捜査機関を総力を挙げて捜査を行ない、帝銀事件と同一犯人の犯行と認められる安田銀行荏原支店事件、三菱銀行中井支店事件を含めて、医療及び防疫関係、満七三一部隊を含む旧軍関係、進駐軍関係、松井名刺関係、山口二郎名刺関係、帝銀事件で強奪された小切手の裏書の筆跡関係等々について広範な捜査が行なわれ、松井名刺関係の捜査の線から容疑者として浮び上がった請求人が検挙され、その後状況証拠も収集され、請求人も自白したことから起訴されるに至ったのである。そして、所論のいう満七三一部隊を含む旧軍関係の捜査は請求人の検挙の時まで続行されていたのであって、G・H・Qの命令で満七三一部隊関係の捜査が打ち切られたことを示す証拠は所論のあげる新証拠の中にも存在しない(かえって、弁第六号証によれば警視庁捜査二課員として本件の捜査にあたった成智英雄は、前記のように満七三一部隊の隊員のうち本件の犯罪適格者につき、所在不明の諏訪中佐を除く全員について捜査を遂げていることが窺われる。)。なお、確定事件の第一審においては、帝銀事件で使用された毒物が旧陸軍において秘密裡に開発された毒物(アセトンチアンヒドリン)ではないかという点についても証拠調がなされ、旧陸軍化学研究所毒物班の責任者であった証人伴繁雄の尋問調書等により、本件の毒物がアセトンチアンヒドリンではないことが立証されており、その他にも本件の犯人が旧軍関係者に限られることを示す証拠は存在しない。したがって、所論のいう証拠は、請求人に対し無罪を言い渡すべき明確な証拠にあたらない。

次に所論③について検討するに、安田銀行荏原支店事件において犯人が言及した進駐軍将校の名前につき、確定判決の掲げる請求人に対する昭和二三年九月三〇日付第四九回検事聴取書によれば、請求人は思いつきで英語のありふれた名前を言った、というのであり、「パーカー」という名は英米人の間でありふれた名前といい得るから、請求人がG・H・Qと関係がなく、パーカー中尉と付き合いがなくてもなんら差し支えはないのである。したがって所論のいう証拠は請求人に対し無罪を言い渡すべき明確な証拠にあたらない。

次に、所論④について検討するに、所論のあげる弁第一五号証は、確定事件記録中に存する警視庁刑事部長名義の「帝銀毒殺事件捜査協力方に就て(三)」と題する書面(記録九冊二一〇六丁)と同趣旨の文書である(記録中に存する文書に、警視庁刑事部長から各管区本部刑事部長、各道府県警察隊長、大阪、京都、神戸、名古屋、横浜、福岡市警察長宛の文書であるが、弁第一五号証では、その宛先が抹消され、連合軍総司令部公安課御中と記載されている点が異なるほか、内容は同趣旨のものである。弁第一五号証は、各管区警察本部刑事部長等に送付した前記文書の写を連合軍総司令部公安課に参考送付したものと考えられる。)から、証拠の新規性を有しない。

所論⑤については、所論はひっきょう憶測の域を出でず、所論のいう証拠は、請求人に対し無罪を言い渡すべき明確な証拠にあたらない。

六  (内村・吉益鑑定関係)

所論は、確定判決は、請求人の自白調書の任意性及び真実性を認定するのに、確定事件第一審における鑑定人内村祐之、同吉益脩夫作成の鑑定書(内村・吉益鑑定と略称する。)を主たる根拠としているが、①内村・吉益鑑定は、請求人が自白当時催眠術にかけられたと主張していたのに対し、記憶に欠損がない、五〇日も催眠状態が続くことはないなどの理由から、催眠状態ではなかったと結論しているが、催眠術という請求人の主張は、被暗示性が亢進し、意思の自由の減弱した状態という意味であるのに、内村・吉益鑑定は請求人が典型的な催眠状態であったことを否定することにより催眠類似状態をも否定するという誤りを犯していることが弁第五号証(湊博昭・式場律「自白過程の精神鑑定」精神神経学雑誌昭和五五年一一月号収録)によって明らかになった、②また、内村・吉益鑑定は、請求人が自白後睡眠がとれるようになったことを指して真実の自白となんら変わるところはないと述べているが、虚偽の自白でも取調べ側に屈服し葛藤が一旦回避され睡眠が安定することもあり得る、また、請求人の欺瞞癖の強い虚偽的性格は自己に不利である無実の自白をする可能性が極めて低いとしているが、虚偽の自白をすることが有利と考えざるを得ない状況も存在する、請求人が空想虚言症であると人格的非難を加えつつその自白の真実性を認めようとする綱渡り的論理を弄んでいる点等全くでたらめであること、が同じく弁第五号証によって明らかとなった、③また、弁第八号証(橘麻帆・塚崎直樹作成の鑑定書)により、内村・吉益鑑定は論理的かつ精神医学的に全く成り立たないことが明らかとなったと主張する。

まず、所論①について検討するに、確定事件記録によると、請求人の自白当時の精神状態につき、検事に催眠術にかけられた旨の請求人の主張が、弁第五号証のいうような「被暗示性が亢進し、意思の自由の減弱した状態」を意味するものとは解されないから、弁第五号証のこの点に関する内村・吉益鑑定に対する非難はその前提を欠く。それ故、弁第五号証中所論①に沿う部分は、請求人に対し無罪を言い渡すべき明確な証拠にあたらない。

所論②は、請求人の自白の真実性に関する問題であるが、自白の真実性については、内村・吉益鑑定は、鑑定主文二において「また自白の真実性については、これを被告人の性格に照して、精神医学的立場のみからは決定的判断は困難である。」として、結論を留保しているのであり、その結論にいたる説明の一部に請求人の自白の真実性に言及している部分があるにしても、確定判決が内村・吉益鑑定を主たる根拠として請求人の自白の真実性を認めたものとは到底解されない。請求人が確定事件の公判において事実を否認した確定判決判示第一の一ないし三の事実についての請求人の自白にはこれを裏付ける多数の証拠及び状況証拠があり、内村・吉益鑑定を除外しても、十分その真実性を認めることができるのである。その主なものを列挙すると、

1  安田銀行荏原支店事件につき、同支店において犯人が使用した「厚生技官医学博士松井蔚」という名刺が遺留されているが、右名刺は松井博士が昭和二二年三月二五日に印刷した一〇〇枚のうちの一枚であるところ、請求人は同博士から右一〇〇枚のうちの一枚を犯行時前に受領していたが、逮捕時その名刺を所持していなかったこと(なお、右一〇〇枚の名刺のうち、安田銀行荏原支店事件に使用された可能性のあるものは、請求人受領分を含め二二枚である。)

2  帝銀事件で強奪された小切手一通(金額一万七四五〇円)は犯行の翌日安田銀行板橋支店において現金化されているが、右小切手の裏の住所の筆跡と請求人の筆跡につき、これを同一であるとする北大路房次郎、竜粛、高橋隆三、遠藤恒儀、高村巖作成の各鑑定書、幾多の酷似点はあるが同一とは断定し難いとする宝月圭吾作成の鑑定書、両者は頗る類似していて、確実に同一とは断定できないが、七分は同一であるとする中村直勝、林屋辰三郎共同作成の鑑定書があり、これらを総合すれば、右小切手の裏の住所の筆跡と請求人の筆跡は同一である蓋然性が極めて大きいと認められること、

3  三菱銀行中井支店事件につき、同支店において犯人が使用した「厚生省技官医学博士山口二郎」という名刺が遺留されているが、右名刺を印刷した斉藤安司は「この名刺を注文した人は、大体請求人と同じような感じのする男であった」と供述していること、

4  安田銀行荏原支店事件につき、犯人を目撃した者のうち、渡辺俊雄、飯田隆太郎は、犯人は請求人と同一人である旨供述し、高坂鉄二郎、神津安子、窪田芳子、若林せつ子、武田操子は、犯人は請求人とよく似ていると供述し、市川登、小沢明子、富永弘、小沢隆治、高山光正は、犯人は請求人に似ていると供述していること、

三菱銀行中井支店事件につき、犯人を目撃した者のうち、小川泰三は犯人は請求人と同一人である旨供述し、戸谷桂蔵、手塚義雄、関口徳郎、日野てつ子は、犯人は請求人によく似ていると供述し、大山滋子、大竹美智子、高田美佐子、幸坂みさ子、萩野虎次郎、久米雍子、宮田金雄は、犯人は請求人に似ていると供述していること、

帝銀事件につき、犯人を目撃した者のうち、吉田武次郎、田中徳和は、犯人は請求人と同一人であると供述し、阿久沢芳子は、犯人は請求人に非常に似ていると供述し、竹内正子は、犯人は請求人に似ていると供述し、島田長三郎は、当日午後三時四五分に近いころ、帝銀支店から出て来た男は六、七分位請求人に似ていると供述していること、

(以上の目撃者の供述を通じて、犯人と直接応待し、数分あるいはそれ以上犯人と話をし、充分その特徴を把握する機会があったと認められる者、すなわち、安田銀行荏原支店長渡辺俊雄、同事件の際同支店に立ち寄った警察官飯田隆太郎、三菱銀行中井支店長小川泰三、帝国銀行椎名町支店長代理吉田武次郎が、いずれも犯人は請求人である旨その同一性を確認する供述をしていることに留意すべきである。)

5  帝銀事件で強奪された小切手の支払いを取り扱った安田銀行板橋支店係員林博子は、その小切手で金を取りに来た人と請求人とは、上の方は帽子を真深にかぶっていたのでわからないが、鼻から下や声など全体的に見て似ていると供述していること、

6  帝銀事件の被害金額は、現金一六万四四一〇円位及び額面一万七四五〇円の小切手一通であるが、帝銀事件発生直後の昭和二三年一月二九日、請求人は、東京銀行に林輝一名義で現金八万円をチェーン預金し、そのころ妻にも現金合計五万四~五〇〇〇円位を渡し、さらにそのころ伊豆、北海道方面に旅行し費用を支出しているのであって、それらの金額の合計は請求人の当時の経済状態からは到底支出不能の金額であるところ、これらの金額の入手先についての請求人の弁解は変転しかつ裏付けを欠き、虚偽であることが明らかになるなどして、結局、入手先の説明ができないこと(入手先の点を別にしても、請求人は、昭和二二年九月から昭和二三年一月ころまで、画のうの中に現金二〇万円位を入れており、前記の現金はこの画のうの金の中から出した旨供述しているところ、請求人はそのころ確定判決の第一の冒頭に判示しているように、経済的に極めて困窮した状態にあり、昭和二二年一一月ないし一二月には確定判決第二の一の詐欺、同二の(一)ないし(三)の私文書偽造、同行使、詐欺未遂及び詐欺の犯行に及んだ程であって、帝銀事件犯行前のそのころ請求人が二〇万円もの現金を所持していたとは考えられない。この点については、請求人の妻マサや二男暸、長女静、三女子すら、そのころ請求人が一〇万円又は何十万円という現金を持っていたとは考えられない旨供述している。)、

結局、弁第五号証のうち所論②に沿う部分も、請求人に対し無罪を言い渡すべき明確な証拠にあたらない。

次に、所論③については、弁第八号証は、まず、内村・吉益鑑定は、事件発生当時の請求人の精神状態につき、請求人のアリバイ主張(すなわち事件発生当時自分は何をしていたかという陳述)をもとに考察し、本人のアリバイ主張そのものに特に異常を認めないため当時の精神状態に異常がなかったという論理を用いているが、これは請求人のアリバイ主張が真実であり、無罪が前提となって初めて鑑定が成立するのであって、鑑定の中立性を全く欠くものと非難している。

そこで、検討するに、弁第八号証が問題としているのは、内村・吉益鑑定中「生活歴に関する被告人の陳述D犯行のあった当時に関する追憶」(鑑定書第三六枚から第四〇枚)の部分であって、この部分は起訴にかかる犯罪事実に関する請求人の言い分及びこれに関連する陳述部分であって、請求人が否認している確定判決判示第一の一ないし三の事実についての請求人のアリバイ主張にあたる陳述を含んでいるが、この部分の内容の真偽を度外視しても、右陳述等から請求人の精神状態を評価することは十分可能であり、アリバイ主張が真実であること、すなわち請求人の無罪を前提として始めて鑑定が成立するとはいえない。

さらに、弁第八号証は、犯罪事実に争いがある場合の犯行当時及び自白時の精神状態の鑑定は原理的に不可能であり無効であるとして内村・吉益鑑定を非難するが、ひっきょう独自の見解であって採用できない。

結局、弁第八号証も、請求人に対し無罪を言い渡すべき明確な証拠にあたらない。

七  (全体的考察)

以上、弁護人提出の各証拠につき個別に検討したが、右各証拠は、これを全体として確定判決前に提出された関係全証拠と総合的に評価し、更に累次の再審請求において提出された証拠と合わせて判断しても、確定判決における事実認定に疑問を抱かせ又はこれを覆えすに足りる蓋然性のある証拠とは認められないから、結局、旧刑事訴訟法四八五条六号所定の請求人に対し無罪を言い渡すべき明確な証拠に該当せず、これらに基づく所論はすべて理由がない。

第二請求人本人の本件再審請求の理由について

所論は、①指紋係官が、帝銀事件の犯行中犯人が薬の飲み方を教えた茶碗から採取した指紋は請求人の指紋でないことが証明されたから、請求人が犯人でないことが証明された、②帝銀事件の犯行時刻には請求人は進駐軍軍人のエリー軍曹と談笑していたことがエリー氏及び請求人の家族によって立証された、というのである。

そこで検討するに、所論①は、昭和三一年(お)第一三号再審請求事件、昭和四三年(お)第二号再審請求事件においてそれぞれ主張され、いずれも理由なしとして棄却されたため、旧刑事訴訟法五〇五条二項により再度再審の原由として主張することを許されないものであり、所論②は旧刑事訴訟法四九七条によって要求される証拠の添付を欠くものであるから、いずれも不適法である。

第三結論

よって、旧刑事訴訟法五〇五条一項により本件再審請求を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 森岡茂 裁判官 小田健司)

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